9月14日
最近は、試合稽古をたくさんやっている−自分に最も欠けていることだからすごくためになる。地稽古での自信を付けるため、繰り返し行わなければならない。経験の少なさのせいで、自分の実力を低く見積もりがちだが、実際に私はこてんぱんに打ちのめされることもなく、しっかり立っていられるのだ。だからと言って、他の人から一本を取れるということではないのだが。そこに到達するためには長い時間がかかるだろう。
私たちは多くの基本のみならず、動き回る練習や、後退して攻撃をしたり、バランスを保った強い構えの練習をたくさん行っている。ところで、クラウディアのスキルは本当に素晴らしいのだ。彼女は2、3日しか稽古していないのに! 銃剣道が広がっていくのを見るは本当に嬉しい。この武道のシンプルさ、そして楽しさを、ポーランドに帰って多くの人に広めていくことが楽しみでならない。イェイ!
9月15日
春日井体育館の2階の道場、通称「窓の道場」は、セミオートマティックの窓が並ぶ場所で、風が入り、陽光にあふれている(時にこの光は問題で、特に形をしているとき、片方は眩しくて目を開けていられなくなる。それゆえに面白いことが起こるのだが、私はここが好きだ!)。寺田先生は、時々私たちにウォームアップと基本動作を主導してやるように仰る。私たちに武道の世界で独り立ちさせる準備をしているのだと思う。もちろん、銃剣道という武道を他の人に広めることを考えるとワクワクするが、最高の先生の厳しい目が見つめる中で行うのは怖いことでもある。
私たちは試合稽古も行った。隙を利用し隙を作りながら、たいていは攻撃することに集中した。その考えがいいか悪いかに拘らず、自分の考えに従って行うと、私の出来栄えはまだかなりひどい。しかし、防御に関して小さいながら重大な発見をした−構えはしっかりと肩を守っていなければならないから、防御の大部分は前手首の非常に小さな動きでカバーできるはずだ。これは今日試してみて効果的だった。私が特に好きだった練習が、突かれたところからすぐに攻撃をし返すやつ。これには良いバランスと構え、間合いの判断、前進と後退のスピードが求められる。この練習の後、私の足は使い物にならなかった。
9月16日
今日は知多での稽古。私はここの稽古が好きだ。ここでは、私は大抵良く戦えるし、楽しく過ごすことができる。久恒先生と寺田先生の生徒の一人との稽古である。いつもの稽古と同様に、基本から始まり、多くの払い技を行い、応じ技、反撃、そして多くの動きを付け加えつつ稽古した。次に掛かり稽古。相手が私の攻撃をブロックするのだから、自分が何をすべきかよく考えなければならなかった。
一本勝負の時は、私ができることは突撃することのみなので、そうした。地稽古は間違いなく楽しい。二人ともすぐに疲れてほとんど向かい合っているだけになっちゃうんだけど。私は初めて、私の動きに反応した相手の反応に気づくことができた−私が相手の表を押したとき、相手が下に隙を作ったことに気付いたのだ。私はその機を利用できるほど上手ではなかったが、しかし、それが見えた。自分を褒めてあげたい。道場の方々へ簡単に押しまくられたのも初めてだった。彼はどうやって反応するかを教えるのにいい機会だと思ったのだろう。私はしっかりと足を踏ん張り、構えを完全に崩すこともなく、攻撃に十分なほど素早く自分を取り戻すことができた。このことは、この道場のオーナーで90歳の先生をも驚かせた。彼はいろいろなレベルのたくさんの生徒を見てきたのだと思う。だから彼の賞賛は私にとって大きな意味がある。そうは言っても、私はまだ「オーケー、でもね」から逃れられていないのだが。
これは、銃剣道ワールドの翻訳者でゲストライターのクララによる目下進行中の連載である。銃剣道を始めたばかりの彼女と、彼女のパートナーであるルーカスが、3ヶ月に渡る日本滞在の中で、銃剣道の稽古をしていく様子を定期的に投稿する。
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