形の演武

ポーランドでのセミナーの最終日は、同国最大のチャリティイベントである「Wielka Orkiestra Świątecznej Pomocy」の日でもあった。我々の使用していた道場は、その日はイベントのために一般に解放されており、我々は形の演武をして欲しいと依頼された。

銃剣道を知らない人たちのために、演武のときは形の説明を加えながら行なった。幸いにも私はポーランド語が話せないので、私は説明役にはならずに済んだのだった。とにかく、銃剣道の形において私が指摘したいポイントは以下の通りである。

  1. 起こりのタイミングとそれを感知すること。この場合、「起こり」とは文字通り「始まり」あるいは「発端」のことであるが、「起」という漢字は、「起き上がる」という意味も持つ。私が面白いと思うのは、これが「敵を起こす」という発想につながるからだ(私は親父ギャグが好きである)。一本目はまさにこれを表している。打方が動き始めた時、仕方は既に準備ができていて、仕方が先に突く。これは試合でもよくあることであり、剣道やなぎなたとは違って、これほど試合で起こることが形に組み込まれているのは、銃剣道の形の面白い要素だと思う。
  2. 残心の強調。形の稽古において、我々は他の要素より、残心の練習に最も時間を費やしていると言っていい。残心については、説明するのが難しく、人によってやり方は様々だ。残心が、次の攻撃に入る準備が完璧に出来ているという気持ちを表しつつ、敵を完全に制することができる状態だということを示しているのを見て取るのは易しいが、実際に行うことは非常に難しい。試合では、攻撃が決まっても残心がない場合はほぼ一本を取れないし、平凡な突きでも素晴らしい残心を示せばしばしば一本を取れるのである。
  3. 形の鏡のような特徴。これは、木銃対木銃および短剣対木銃の形において最も顕著であるが、木銃対剣また短剣対短剣の形においても言えることである。例えば、木銃対木銃の形の五本目は、一本目とベースは同じ技であるが、打方が突きに失敗し、仕方が逆に突くという形になる。六本目と二本目、七本目と三本目、そして八本目と四本目も同様である。技術的な弱点を学び、それにどう立ち向かうかという事まで表現している形は、他ではあまり見ない。
  4. 私たちは刀を勝たせる(時々は)! 私は天道流の形で、よく他の武器を使うが、その時は決して太刀を勝たせることはない。剣道の形でも、仕方が短い刀を使ったとしても勝つ。太刀を使う人は気の毒なので、時々は優しくしてあげよう!

 

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テーマ: Baskerville 2 by Anders Noren

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