愛知県選抜:先鋒

コメント:サイモン・ラースン

私は、個人戦よりも団体戦で勝つ確率が高い(特に先鋒の時)。先鋒の心理として、勝ちに行くというよりは、チームの雰囲気を盛り上げようと腐心している。例えば自分が先鋒として負けた時でも、相手が強くて歯が立たないと思わせるのではなく、自分は勝ちを盗まれたようなものであり、他のチームメンバーに復讐を誓わせるようにお膳立てするべきだ。勝った場合は、技術や戦術を自慢するのではなく、メンバーの闘争心を派手に煽ろう。大抵は最初の一本を取った方が2対0で勝つ。勝つか負けるかなのだ。

 

こうした心理は自分にあっていると思う。私はこれまで先鋒でストレスを感じたことはないし、戦略的に細かいことを考えたりはしない。もちろん、先鋒の役割を十分に果たしているかはわからないが。

 

試合に臨むとき、私は最初の一本を取りたいと思っており、初一本のための稽古を重ねて来た。なるべく素早くセンターを取り、自分が優勢なことを相手の心に植え付けようと試みる。一本を取ることが目的というよりは、途中で止まらずにセンターを取る(過去に幾度も途中で止まって失敗している)ことを考えるようにした。

 

また、相手が私に近づくのを警戒させるために、多くの制体技を使う試みをしたかった。試合相手は大概私より相当速く動くので、容易に近付けると思わせるのは全く良くないのだ。私は年を取っていて動きは遅いが、体格は良く頑丈であるから、仮に制体技が失敗したとしても、私に制体技で捕まるのは得策ではないと彼らに思わせることができるだろう。

 

これら二つの作戦プランを実行した結果一本を取れたのだから、試みは成功したと言える。相手は私が思ったより躊躇いがちで動きも遅かった。裏から攻めることは制体技のフェイントとなり、私は相手がそれに引っかかることを願いながら行っている。

 

ここまでは順調だが、私には二本目が取れないという克服すべき残念なジンクスがある。

 

現実的な戦略がないので(そんな先のことまで考えられるほど私は賢くない)、取り敢えず腕をまっすぐに構え、リーチを活かしながら相手にプレッシャーを与えることにした。相手が何度か打ってきたとき、腕を下げて躱した。この方法はもっと練習が必要だが、少なくとも一本を取られることはなかった。

 

審判がいったん試合を止めた後、私は坂を転げ落ち始めた。動き続けることを忘れ、面を狙ったり、他の馬鹿なことをし始めたのだ。ある一定の人々にとっては、引き面を使うのはまあまあ良い戦法になり得ると思うが、現実的に考えて私がやるとなると、今回の相手程度の体格の人であれば、鍔迫り合いから相手の肩を強く押す形になって打ち倒してしまう可能性がある。ゆえに私にとって引き面を使うことを馬鹿げている。一足一刀の間合いからの面は、私を含め技術的に未熟な者には極めて愚かな策である。私にとって幸運だったのは、面を狙った私の馬鹿な選択に触発されたのか、相手も同じように面を打って来はじめたことだ。相手は、私の未熟な無様さを利用しようとしていたが、この面攻撃によってそれが少し緩和された。

 

3分30秒、私が思うに相手は我にかえり、時間を浪費していたことに気付いて、「突っ立っている敵に喉突き」のセオリーに立ち返っていったが、私にとってはラッキーにも、時間切れで試合終了となった。

 

今回の試合で学んだことは、二本目への果敢な攻め(身体的というよりは精神的な)が必要だということだ。一本目を取った後は、その有利な状況をもとに更にリスクを取って攻めるというよりは、むしろ守りに入る気持ちが強くなる。先鋒の役割としては、「時間切れだった」と試合を終えるよりは、稲妻が鳴りと炎が燃え盛るような熱い試合をして、チームメイトの闘魂に火をつけるべきだと思う。相手チームにしたら、私の一本を単に私がラッキーだったものと捉え、こちらの中堅に果敢に復讐を挑んでくるだろう。相手にそう思わせる原因に私はなるべきではなかったのだ。チームへの貢献を疎かにし自分の勝ちにこだわった自分自身を申し訳なく思う。チームメイトにはビールを奢るべきだろう。

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